傷寒論
傷寒論として一般に知られているものが北宋の時代に林億(りんおく)、孫奇(そんき)らが校正医書局において校正・復刻(宋改)した傷寒論である。大字本および小字本が出版された。これらは『宋版傷寒論』といわれるが、失伝した。宋改本の原本『宋版傷寒論』は現在に伝わっていないが、小字本の宋改本に近い姿を残すものとして、明・趙開美刻『仲景全書』(1599年)の中の『翻刻宋板傷寒論』全10巻22篇が現存している。
『金匱玉函経』も、傷寒論の異本として、校正医書局において校正・復刻(宋改)されている。林億らは『傷寒論』に引き続き翌年にこの『金匱玉函経』を世に送り出しており,その重要性を認識していたと思われる。だが,『金匱玉函経』の宋改版が出た後,清朝の康煕56年(1717年)上海の陳世傑が『金匱玉函経』を刊行するまで650年以上にわたり,この『金匱玉函経』が出された記録は見つかっていない。日本においても1746年(延享3年),清水敬長によって『金匱玉函経』が翻刻されただけで,流布した本は少ないとされる。
また、翰林学士の王洙は国家の図書館で虫損を受けた古書中に『金匱玉函要略方』を発見した。この書は上巻に傷寒、中巻に雑病、下巻に処方と婦人病が記されたものであった。この『金匱玉函要略方』を転写して数人の学識者にのみ伝え、書中に処方とその主治証が完備しているものを使用してみたところ、効果は神の如くであった。そこで、宋臣らは下巻にあった処方を各々の相応する証候文の次に配置しなおし、諸家の方書中に散在する仲景の雑病に関する論説と処方の佚文を採取、各篇末に「附方」として補遺し、上巻の傷寒部分は節略が多いので削除し、その他の雑病より飲食禁忌までは残し、全25篇として総262方、これを上中下の三巻本に再編成し、これらの部分は大字本では『(新編)金匱方論』(通称 金匱要略)とされた。
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南宋の成無己(せいむき、無已(むい)の説もあり)による『注解傷寒論』(1144年)では、『宋板傷寒論』と比較すると、『宋板傷寒論』の省略改変が行われており、条文の細字注記の省略、可不可篇で三陰三陽篇で重複する条文の削除、『宋板傷寒論』第五篇以降各篇の一字低格下条文を省略し、陰病の下法を「陽明転属」と解釈する等の点で改変を行っている。また、同一条文でも字句の相違が多い。この『注解傷寒論』は、一般に、『成注本』または『成本『傷寒論』』や単に『成本』とも通称される。こういった点があるにも関わらず、『注解傷寒論』は日本の漢方および中医学に多大な影響を残した。江戸時代の前半、最も流布した傷寒論は『注解傷寒論』系の傷寒論であり、香川修庵の『小刻本『傷寒論』』も、『注解傷寒論』系の書とされる。江戸時代に制作されたと考えられている『康平本傷寒論』・『康治本傷寒論』も『注解傷寒論』の特徴を持ち、『注解傷寒論』系の偽書とされる。現存する『注解傷寒論』としては元版が最善本とされる。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
古い医療の本です。とても勉強になりました。